『中学生からの哲学「超」入門』を読んで

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感想

本のタイトルにある「中学生からの」という語句には引っかかりますが、読む価値は十分あります。

考えさせられたのは、人は記憶を失えばその人のアイデンティも失われてしまうこと。確かに痴ほう症にかかると、過去の記憶が無くなります。それと同時にその人の社会的な結びつきも希薄になってしまいます。 

本書では、『人間の過去の「物語」を失った人は、「今」の意味が像を結ばず、ただ生きているだけ 、ということになる。』とありました。その人の「物語」は、禅の「今、ここ、自分」での「今」に不可欠なものだと思います。




本書からの引用

 

 1 宗教というゲーム

宗教に「ゲーム」という言葉を使うと、違和感を持つ人もいるかもしれない。
けれど、そこには、その言葉の中に真理が隠されているはずだ、という一つの仮説があり、皆でその言葉を解釈しながら、誰がその心理に一番近づけるのかを競い合う、そういうゲームのような構造になっているからです。
そしてまた、このゲーム自体が、そこに集まっている人達の大事な生きる理由になっている、といえます。 

 

 2 社会で生きることの前提

他人の自由を尊重し、守れる能力がある、そのことで、初めて人は「自由」と「人権」を保障される。そういう原則になっている。それが「自由の相互承認」ということです。これは社会をゲームだと考えるととてもよくわかります。

 

 3 「孤独」は人間の本質ではない

ヘーゲルによると、人間の欲望は自己価値欲望です。自己価値は、結局のところ、他者による承認を必要とする。それは評価、賞賛、尊敬、配慮、そして愛情などの形をとるが、ちょうど動物の体が「栄養」なしに生きられないように、また人間の心が、ロマンや情緒を必要とするように、人間の精神は「承認」を必要とするのです。 

これは人間の生に必須のもので、例外はありません。人間は本来「孤独」な存在であり、それが人間の本質である、と強く主張する人にとってさえ、この考えを誰かから承認されたという動機なしには、この主張自体が意味を持ちません。 

 

 4 われわれが生きる理由

何らかの欲望を持つことは、根本的に、我々の生きる理由が現れることです。憧れ、期待、希望、可能性といった「欲望」こそは、我々の生の土台である。
恋の欲望であれ、権力への欲望であれ、それが告げ知らされると、生きることの新しい、しかも強力な理由が、突如心の内に出現します。 体はわくわくする魅力に満ちたものとなり、人は生きる上での明瞭な目標と、そこへ近づこうとする強い意欲を与えられるのです。 

 

 5 人間は「意味」の中を生きている

最近、記憶を失った人の話がよくされますが、人間は、記憶が壊れると、「自分」というものを、もっと言えば自分のアイデンティティーというものを、失ってしまいます。自分の過去の「来し方」が、初めて、これから何をめがけて生きるのかという「行く末」を支えるからです。自分の過去の「物語=歴史」だけが、 自分のこれからの可能性を支え、それが実は今の生きる「意味」を支えているのです。 

だから、人間の過去の「物語」を失った人は、「今」の意味が像を結ばず、ただ生きているだけ 、ということになる。 人間の「 生きる」とは、「 意味」の中を生きているということがよくわかります。 

 

 6 今の生の欲望とは

40年前は、「自由恋愛」「職業の自由」「社会的承認」、これが、人々の一般的な欲望だったわけです。では、今我々の生の欲望は、大きく何に向かっていると言えるでしょうか。

私はこれを、現代の「一般欲望」と呼んでみます。今それは、強くこういうものをつかみたい、ではなく、なんとなくこんなふうになれればいいな、という希望のようなものです。 

例えば、女性の「一般欲望」は、「綺麗になって、素敵な男性に愛されて、できればセレブになりたい」。 男性なら、「自分の才能を発揮して、格好良い男になりたい。それがだめなら、なるべく良い大学に入り、なるべくグレードの高い会社に入りたい 」。 つまり、これが今の時代の、「全ての人が一番望むもの」と言えないでしょうか。 

 

 7 自分の意志を持つことの難しさ

さて、「自分の意思を持つこと」は、ある意味誰もがしていることなのに、これほど現代社会において難しいことはありません。
現代社会の我々の多様な欲望は、普遍的に交換されあって「一般欲望」を作り上げます。現代に生きる我々の、人間としての自由を求める目立たない戦いは、本質的に、「一般欲望」への抗いという形をとるのです 。

 

 8 本書の結論

私のアドバイスは、君はそういう欲望を捨てるべきだというのではない、そうではなくて、もしそれしか生の欲望を持てないなら、君の生は拠り所のないものになってしまう。
むしろ、君は、そのような「一般欲望」とは別に、自分はこのように生きよう、このような生き方をしたいという、自分固有の生の目標(欲望)を見出すべきだ、ということです。