「愛と癒しのコミュニオン」を読んで

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感想

人はみな、「自分の存在が他の人から認められ、受け入れられ、できれば高く評価され、大切にされたい。同時に、自分自身もまた自分が良い人間だと思えるような、他の人に役立つ存在でありたい」と思っている。しかし、思い通りにはならない。

それは自分を受け入れていないから。自分を受け入れるためには、もう一人の自分が、上から自分を温かく見守る。そして自分の身体、感情、思考を観察すること。自分を受け入れたうえで周りの人を受け入れる。それが本書でいう「愛と癒しのコミュニオン」だと理解しました。
もう一人の自分が自分を見る。なんだかメタ認知のようです。自分を客観視することができれば、狭くなった視野に囚われることなく、肩の力が抜け、リラックスできそうです。



本書からの引用

 
 1.アクティブ・リスニングとは

アクティブリスニングにおいて、話し手は、川を流れていく花束に例えられる。
聞き手は花束に寄り添いながら、一緒に川を下る小舟である。花束を拾い上げたり、綺麗だと褒めたりするのではなく、花束が広い自由な大海に出るまで、ただただ花束の流れていくのに沿って行くのである。

中心になるのは、あくまでも話し手の歩みである。暗闇の中に一人立って、不安を抱えている話し手のそばにいて、目が慣れ、霧が晴れて、道が見えるようになるまで、一緒に歩んでいくのが聞き手の役割だ。

ただ口だけ黙っているのはやさしいが、頭の中まで沈黙させることはできない。頭にはいろいろなことが浮かんでくるが、それにとらわれないこと、それが沈黙だというのである。

 

 2.本心からの領域を超えて「受容」するとき

他者を受容するというのは、そう簡単なことではない。物分かりが良い人であろうとする場合、あるいは親切な人であろうとする場合、相手の申し出を受容しようとするが、本当の意味で受容していないことは多い。
つまり、自分が本心から受け入れられる領域を超えて受容することは、あまり好ましい結果を招かないのである。いたずらに受容をしようとするよりは、「それは認められない」と言った方が良いということである。 

 

 3.話を解決したい時

話し手が問題を抱えていても、それは聴き手のものではない。問題を所有し、解決を探る主体は、あくまでも話してである。聞き手は話しての問題を抱え込んだり、解決してあげようとはしないことだ。
聞き手が何らかの助け舟を出し、問題を引き受けてしまうことも、相手を「ディスカウント」することになる。 本来、話し手ができることを、”彼にはまだ能力が足りない”と判断して、聞き手がやってしまうからである 。

 

 4.生きるとは変化すること

しかし現実には、誰もが生きている人間だ。 生きているということは、常に変化をするということだ。「私は社交的で愛想の良い人間だ」と考えている人でも、しばしば不機嫌な態度を取ったり、一人でこもりたくなったりする。

 

 5.ありのままの自分の受け容れ方

では、どうしたら自己一致を保つことができるのだろうか?それは、批判なしに自分を観察すること。

①身体の状態を調べる
額や顎は緊張していなどないだろうか?リラックスしているだろうか?それとも緊張しているだろうか?このように身体を優しく調べてみるのだ。

②感情に目を向ける
今自分の中にどんな気持ちがあるだろうか。感情は平静だろうか、怒っているだろうか、不安感を押し殺していないだろうか、それとも楽しんでいるだろうか。瞬間瞬間に変化していく自分の内面に、温かい眼差しを向けてみるのである。

③思考を眺める
今頭の中をどんな考えがよぎっているだろうか。空を行き来する雲を眺めるように、考えにとらわれることなく、眺めてみる。今の頭に浮かんでくる考えを、ただ眺め、観察してみるのである。 

 

 6.たった一つの人間の欲求

人間はこの世に生を受けた瞬間から、たった一つの欲求に突き動かされていると言われている。
「自分の存在が他の人から認められ、受け入れられ、できれば高く評価され、大切にされたい。同時に、自分自身もまた自分が良い人間だと思えるような、他の人に役立つ存在でありたい」という希求である。

 

 7.人の悪口は、その人本人の悪口

悪口を言っている人の話をよく聞いてみると、90%はその人自身のことを語っていることがわかる。そして、その人の持っている90%の問題が見えてくるのである。
試しに誰かの悪口を思いっきり言ってみてほしい。それを他の人に徹底的にアクティブ・リスニングで聞いてもらうと、最後には「私も同じ欠点を持っているんだ」、あるいは「私は自分の欠点をあの人に投影して見ているので嫌なんだ」ということが分かってくる。

 

 8.宇宙の中に自分があり、自分の中に宇宙があること

科学的に見ても通って私たちは、大宇宙の法則の中で生かされている。地球も太陽も銀河系も同様である。地球から見れば、我々一人一人の人間は、小さく取るに足らない存在に見える。太陽系から見れば、なおさらのことである。しかし、大宇宙から見れば、地球も太陽も同じく取るに足らない存在である。
逆に、個々の人間がどれほど小さく見えようと、大宇宙の法則が人の内面に息づき、大宇宙に対応する複雑で遠大な世界を持っている。これが、「ひとは神の処」と言われる所以である。つまり、万人の中に大宇宙が存在し、神が存在するということだ。そしてビーイングの世界に触れるということは、「私の中の神」の世界に気づく瞬間といえる。

 

 9.死の迎え方

末期癌で手の施しようがないと宣告された。その後、今まで通り出勤し、他の人に気取られない形で、自分がいなくなっても会社の業務に支障をきたさないように、仕事の整理に専念した。
彼のそれからの時間は、まるで荒野の厳しい修道僧や禅宗の見習い僧が厳格な修行に打ち込むように、瞑想に明け暮れた。幸いなことに、不快感はあっても激しい痛みには襲われなかった。目に見えて衰弱していく体で、彼はほとんど一日中、正座して瞑想し、よろよろと立ち上がると、おぼつかない足取りでゆっくり歩きながら瞑想を続けた。
夫人が「瞑想中頭って何を考えているのですか」と聞くと、彼は一言、「心の深みに耳を傾けているだけだ」と答えたという。