「MUJIが生まれる『思考』と『言葉』」を読んで

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感想

MUJIは日本の茶文化の「質素は豪華に劣ることではなく、簡素の中にある知性とキメの細やかな配慮」を商品化したものだと感じます。私の周りでもスッキリと暮らしたい、という人をよく見かけます。そしてスッキリとした生活をするために考えられた商品が、その人たちを引き付けるのだと思います。

この考え方は、商品のイメージと実際の使い勝手や満足感と一致しなければ、一気に失墜する危うさを持っています。だからこそMUJIは、時代の流れの中で、「シンプルだけど便利だね」という支持をえるため、変化し続けているように見えます。
この会社は、社是のように明確な目標がないため、社員は常に「MUJIとは何か」を考え続けているだろう、と思いました。まちづくりやホテル等の参画は、その表れではないでしょうか。



本書からの引用

 

 お金をもらった勉強とは

課題や困りごとを見つけ、役に立つ仕事を始めだすと、自分たちの色々なスキルをもっともっと高めなければ役に立てないことがたくさん見てきます。その足りないスキルを皆でどんどん高めようと、全員で勉強しています。そして、この勉強や教育は、お金を払って勉強より、お金をもらった勉強の方がはるかに身につくことも勉強しました 。

 

 自己家畜化のおそろしさ

私は「自己家畜化」という言葉にひときわ共感したのですが、その言葉から社会を見ると問題の本質が見えてきます。
「家畜化」された動物は自然の中で生き抜く能力が退化していて、自然の中に戻しても行くことができません。

 

 消費と快感

消費っていうのはピーナッツ食べるのと同じで、お腹が空いているから食べるんじゃない。食べる瞬間の快感のために食べてるんですから、止めることができない。食べたとたんに快感は終わってるんだから、快感を持続させるためには食べ続けるしかないわけで、消費もピーナッツと同じでしょう 。

 

 品質と付加価値のちがい

時代的に買う側の意識は「安かろう悪かろうかろう」を敬遠し、「少々高くても品質が良い」ものへと移行していきました。ただ、多くのメーカーはその「少々高くても品質が良い」イコール「付加価値が多いから少々お高い」と解釈していました。 

 

 効率の先に豊かさはあるのか

例えば、どうしても企業や組織では「効率が良いこと」「生産性が高いこと」「利益率が高いこと」が善とされますが、会社の、あるいは店舗のすべてをその考えから積み上げてしまうと、とんでもないことになります。効率だけを考えると豊かさが無くなるのです。

 

 死ぬまでの暇つぶし

人は必ず死に、会社は潰れるようにできています。人生100年と言われる時代、私たちは死ぬまでの長い間を、暇つぶしをしながら生きています。暇つぶしには色々な種類がありますが、嬉しい暇つぶしの中に、誰かの役に立つことがあります。言い換えれば、それは仕事です。そう、「どうせ暇つぶしの仕事なら当然誰かの役に立つことを楽しくやろうぜ」というのが良品計画の主義です。

 

無は是れ無に非ず即ち是れ無なり

無印良品とは何かという問いに対する、確固たる答えはありません。それと同じように、良品計画の仕事は、いつまでも完成しません。

 

 茶文化とMUJI

茶とは本来、質素が豪華に引け目を感じることなく、貧しさの中に秘めた知性なり感性なりが誇りとなり得る世界なのである。そうした精神文化を世界に発信し、別の価値体系を確立できれば、それほど多くの資源を使うことなく、自ら美意識を誇ることができる。