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感想

先日、お金が十分あるとしたら何がしたいのか?ということを漠然と考えていました。

海外旅行、高級車、豪邸等、色んなことが頭に浮かびます。そして、それらのモノを手に入れた後はどうなるでしょう。いずれ高級なもの、豪華なものにも慣れてきそう。これらの「面白さ」は、賞味期限が短かそう。それは他者が用意した「面白さ」では、自分は座っているだけであり、受動的となるからでしょう。

今年のゴールデンウイークで9連休を取得しましたが、やることが尽きたとき途方に暮れてしまいました。面白さを構成する要素の中に他者があれば、それは面白さを依存していることになります。他者からの働きかけが無くなるとき、面白さも無くなります。

面白さとは他人に依存するものではなく、自分の中に生じるものがより強く、より永く続きます。そういう意味では、没頭できる何かを持つ人は、すでに面白く生きているのかもしれません。

 

本書からの引用

 

 他者に依存した面白さ

子供の時は幸せだったのに、大人になり就職し、社会に出ていくと、急に「面白い」ものが減ってしまうのだろうか?友達と一緒に遊ぶ時間が無くなったことだけが原因だろうか? どこに問題があるのか。それは、それらの楽しさ、面白さが、他者に依存している、という点である。

 

 「面白く」ないことを社会のせいにする人

例えば、仕事が忙しくて楽しむ暇がない、という人がいる。そういう人は、仕事さえなければ面白い生き方ができる、と考えるかもしれない。だが、休日に何をしているのか、といえば、ただ半分は寝ているだけ、残りもぼーっと過ごして終わる。仕事がない日も、面白くないのはどうしてなのだろう?答えはいたって簡単だ。面白いことをしないから、面白くないのである。 

 

 「面白い」定年後

忙しい状況は「仕方がない」ものだ、と我慢をしていただろう。そして、「定年になり引退したら、思う存分自分の好きなことをしよう」とぼんやりと夢を見ていた。ところが、その年齢になった時、どうも思った通りの「面白い老後」にならない、という結果が待っている 。何がいけなかったのか、どうすれば良いのか、と思案している。そんな人たちをたくさん知っている。 

 

 「面白い」人生の前提条件は、自己完結である

大事な点は、自己完結していることだ、と思っています。他人に見せたり、他者と競争したり、他者からの評価を受けたり、あるいは協力を仰いだり、ということをしない。それが、僕が考えている「面白さ」の基本です。 

 

 森博嗣にとっての「面白い」時間

何かを作っている時間、何かを修理している時間、何を作ろうかと考えている時間、どうやってそれを実現すれば良いかと考えている時間などが「面白い」ですね。 

 

 「面白さ」とはアウトプットのこと

アウトプットする「面白さ」は、インプットする「面白さ」の何十倍も大きい。両方の経験がある人には、理屈抜きで納得できる感覚だろう。 たくさんの音楽を聞くよりも、自分で演奏し、歌った方が「面白い」し、またそうすることでしか上達できない。この成長がまた「面白く」感じられる要因として加わる。あらゆる技は、全て自分でやってみないとわからないまる「やる」とは、アウトプットである 。

 

 年を取るほど孤独になる原則 

 

 金銭による「面白さ」の低減

大金をつぎ込むほど、より大きな「面白さ」が手に入るが、しかし、金額に比例して「面白さ」が増えるわけではない。これは、どんな商品にも言える法則だが、高くなるほど、価値の増分は小さくなる。すなわち、頭打ちになる。2万円の食事は、2000円の食事の10倍もおいしいわけではない。またその差は、20万円の食事になると、さらに小さくなる。 

 

 コスパの良い「面白さ」

新たな「面白さ」に鞍替えすると、初期のコストパフォーマンスに優れた「面白さ」からスタートできるので、そちらの方がずっと楽しめる、ということになりがちである。 

 

 新しいものは「面白い」

「古い」という心理的なマイナス要因がある。「面白さ」はどんどん新しく作り変えられていくので、それらと比較されるため、幾分だが色あせてしまう。例えば、明治、大正時代に作られたものが無料だからといって、それだけで人生が楽しめるほど「面白い」だろうか、と考えれば理解できると思う。